耕平は一本取られたことより、面に乗られて一歩も動けなかった自分が情けなかった。 わずか4分の試合時間のなかで、取られた一本を振り返る余裕などはないはずだ。しかし、試合場の耕平は確かに目の前の田辺に対して攻めあぐんでいる。
健二はそんな耕平を歯がゆい思いで見ていた。
「どんなかたちにせよ一本は一本、こだわるな耕平」
近くにいれば、そう声をかけ背中を押してやりたい思いであった。
試合場にいる耕平には健二の声は届かない。
「試合中の勝敗の分かれ目は何かわかるか」
健二は、錬武館の小山田宗次朗館長に問われたことを思い出していた。
「打った後でも打たれた後でもいかに気と技を継ないでいけるかだ」
小山田館長がいう継ぐとは、気持ちと技の縁が切れないように攻め続けることが大切だということだ。
健二は思った。
「耕平にもう少し攻めに幅があればいんだが」
耕平の得意とする応じ胴は、それを意識したとき、時としていわゆる待ち剣になったしまう。応じ技で大切なことは、相手を引き出す攻めの強さがなければだめである。攻めていなければ、相手の打ってくるタイミングばかり気にするあまり受身の姿勢になる。
「二本目」の主審の声がかかり、両者の剣先の攻防が始まっている。
耕平のやや直線的な攻めに対して、田辺はからだを左右にさばきながら耕平の動きを止めようとしている。
耕平も相手の狙いは充分わかってはいた。
「足を止めてはだめだ」
監督の声が飛んだ。
「思い切って前に出て打つ。打ち切ることだ」
「ィヤッー」
一段と高い耕平の声が館内に響いた。いつもの耕平の攻めがもどった。
応援席の悦子は、試合場で戦う二人を不思議な思いで見ていた。
視線の先にいる耕平が、単に剣道の好きな年頃の男の子ではなかった。悦子の知らない世界のなかにいる。剣道のことは少しは知っているが、それは「習い事」としての剣道だった。
目の前では一進一退、まるで生死を懸けているかのように戦う二人の男がいる。
剣道はチームワークで競うほかの団体スポーツとは違い、勝ち負けはすべて自分の力量次第である。単に技だけでも勝てない。気合、気持ちが充分でなければ勝機を引き寄せることは出来ない。
久しぶりに見る剣道の試合だが、悦子の胸中はざわざわとたとえにならない不快な緊張感が支配している。
「メンッ」
耕平が打っていった。
相手はやや右前に体をさばきながら耕平のメンをすりあげ、そのまま打ち下ろした。
「メンッ」
今度は田辺のメンをかろうじて頭を右に傾げて防いだ。
田辺のメンは耕平の肩に打ち下ろされた。
「昇段試験じゃない。試合だ。カッコ悪くても一本にならなければいい。どんな格好でも防いでやる」
耕平の正直な思いだ。
今のすりあげからのメンが、一本だけだからよかった。体さばきを使って連続打ちで攻められたらどうだったろうか。
健二は感じた。
「次は同じ攻めでも連続技でくる」
(続く)
そんなわけで、今日はたまった原稿を一気に減らそうと自宅で仕事しております。
実は、先週の休日、祭日から知り合いのビルオーナーが、夏場だけ1階のお店が空いているので、何か活用できないか相談されました。
そこでサイズやデザインが多種・多様な子供服とママさんのカジュアル衣料の夏物一掃セールを企画しました。
私が商品を仕入れて、売り切りましょうと、始めたのです。
しかし、現実は厳しく、予想以上に売れません。
駅から離れて、通りに面していない、しかも大きな通り沿いには専門のロードサイドショップがあります。
それははなからわかっておりましたので、折込チラシでどのようなお店か、そして土・日だけの2ヶ月期間限定のお店であることなどを詳しく書いてまいたのですが、お客さんは最初の2日だけです。
責任上、休みなしで店番です。
娘にバイト代を出して、ポップを作り、商品を探しやすいようにサイズ別に展示し直したり、あえて商品を追加注文して品数の豊富さを演出してみたり、色々やっております。
たまたま店番のかたわらに、ブログの材料になりそうなネタを考えていたときです。
試合経験の浅い自分が、稽古で日頃感じることや教えていただいたことを書くのはいいけど、手法として小説風っていうのもおもしろいかな。そうひらめいたのです。
お店があまりにも暇だったので、小説の登場人物や細かな設定など普通書く以前に準備しなければならないことを無視して、一気に書き始めました。
素人の恐ろしさです。
出してしまった以上、七番勝負完結まで続けます。
あまり面白くないようで、知人の評はイマイチ。
それでも耕平の暑い夏は、私にとってもアツい夏になりそうです。
話の中に恋愛もあるのですが、
これが一番の問題です。
独りよがりで未熟な小説を読まされてもな、と思われる方もいるでしょう。
小説は毎週2回だけの掲載にします。
そんなわけで、本業の仕事がたまってしまいました。
7月の最終の土・日まではお店を開けておくつもりです。
お近くの方で、「どんなお店かのぞいてやろう」と思われたならぜひどうぞ。
「ブログを見た」と言っていただければ、Tシャツ一枚サービスします。
場所は宇都宮線蓮田駅西口下車。伊奈町方向へ行ってください。
栗橋線にぶつかるひとつ手前の交差点を右に曲がって2件目の一階です。
店長塩田 090-8871-9148

7月26日付けで小説3回目連載あります。前のページです。
必死の面打ちに懸けろ その2 7月26日
今、耕平と対戦相手である田辺は9メートル四方の境界線の外に立っている。
いよいよ決勝戦である。地区予選とはいえ一年生の耕平がここまで勝ち進んできた。それだけでも注目の一戦となった。
むろん耕平にとっても始めての大きな試合である。
両選手は主審に促され、試合場の中へ入った。
「礼ッ」
審判長の号令ととも審判、選手は正面への礼をおこなった。
次にお互い一礼のあと歩み寄り、開始線前で蹲踞し、竹刀をほんのわずかあわせるというか、触れ合う位置に竹刀を寄せる。
田辺は面金の間から鋭い視線を送ってくる。
そしてわずかな間であるが主審の「はじめ」の号令を待つ。
審判長の合図のあと、主審は試合開始の宣告をおこなった。
一瞬の静寂は、主審の「はじめ」の号令とともにはじけとんだ。
二階の応援席では、悦子が最前席でじっと見守っている。
立ち上がるとお互い声にならない声を発している。
「キェイー」「エィヤー」
会場に響き渡る二人の声がさらに緊張感を高めている。
その声には機先を制する、自分を鼓舞する、気持ちをこめる、気持ちを高める、さまざまな意味合いを持つ。
剣道を知らない人からすれば、たんなる奇声に等しいかもしれない。
相手がいての勝負であるが、己との戦いでもある。
相手の迫力、気迫に押されていたのでは勝負にならない。
耕平は息を呑むほどの緊迫感から早く逃れたいと思った。
初太刀を決めるのは耕平か田辺か。
立ち上がってから仕掛けてきたのは田辺であった。先輩としてこの大会への出場は二度目である。試合経験も多少多いという自負もある。
田辺は素早く耕平の剣先を表から払う。ややあって今度は耕平の剣先を裏から払う。これに反応して耕平が前に出ようとした瞬間を田辺は見逃さなかった。
「メンッ」と田辺が跳び込んできた。
思わず剣先でしのぎ、鍔迫り合いとなるも今度は別れ際に「メンッ」と、引き技を繰り出してきた。さらに耕平がしのぐと、「コテッ」「メンッ」と攻めてくる。
耕平は押されぎみな試合運びになることを嫌った。
「慌てるな」「落ち着け」
健二が必死の形相で声をかけている。
今度はこっちの番だ。
耕平は田辺の中心を割る直線的な攻めを仕掛ける。
「メンッ」「メンッ」
しかし、田辺は耕平の打ち間まで入れさせてくれない。
耕平も手元を崩さず「メンッ」と、跳びこみ面で攻めていく。
守りの堅い田辺からなかなか有効打突を奪えない。
田辺は耕平よりも先に仕掛けるように心がけているようだ。
耕平は感じた。自分より小柄ながら跳びこみの距離、打突の強さは自分より数段上だ。
かりに相手の出ばなに面で乗ろうとしても、よほどのタイミングで打てなければ間に合わない。間合いをつめてくる選手ならその瞬間を出頭に乗ることもできるかもしれない。 田辺は違った。継ぎ足をせず、構えたままの体勢から跳んでくる。
よほど足腰が強いのだろう。
「鍛えている」
耕平は直感的にそう思った。
耕平の動きがやや硬くなった。
そう感じたのは日頃いっしょに稽古をしている健二だけではなかった。
「耕平、止まるな、待つな」
境界線脇の監督が声を枯らしている。
剣先で構えを崩そうと、今度は耕平が田辺の竹刀を払う。何としてこのまま田辺に試合の指導権をを握らせてはならない。耕平はそう思った。
そのときだ。田辺の視線が耕平の手元にいった。
耕平は思わず間合いを切る。
田辺の得意とする小手技が耕平の記憶を呼び覚ました。
「そろそろ小手で仕掛けてくる」
一瞬たりとも気が抜けない。
そう思った瞬間、わずかに間合いを詰めながら田辺の竹刀が耕平の竹刀の裏からはずすように見えた。
「小手に来る」耕平は感じた。
その瞬間、耕平の竹刀は反射的に中心からほんのわずか右に寄せたかたちになった。
そこを田辺は中心から面に乗ってきた。
「メンッ」
その瞬間、審判の赤い旗三本が一斉に振り上げられた。
「やられた」
小手にいくと見せられて、瞬間的に体が反応してしまった。耕平がほんのわずかの居着いたところを田辺は迷わず面を打ってきた。
耕平自身、中間にお互いが入ったときは勝負だと思っていたが、余計な憶測がかえって自分の動きを止めてしまったのだ。
動きのある剣道が自分の持ち味である。耕平は気持ちを切り替えなければと、大きく息を吸った。
「攻めていけ」「まだいける」「慌てるな」
監督や剣道部の同輩、先輩たちが声をかけてくれる。
いいとこなしで、このまま終わってたまるか。
(続く)
同じ支部に所属する聖香大一校二年の田辺明であった。
小手技を中心に二段打ちを得意とする。身長百六十三㎝、いまどきの高校生の割には中背である。今回の大会の参加選手の中では小柄なほうかもしれない。
耕平自身、百七十三㎝だが、日頃あともう少し身長が伸びればいいと思っていた。
対戦時間が迫っていた。
田辺という選手、どんな攻め方をしてくるのか。耕平はこれまで見た彼の数少ない試合を思い返していた。
もうそこには、悦子のことに思いをはせる年頃の耕平の姿はない。
先ほどまで悦子に勝者として喝采を浴びる自分を見つめてほしいと、妄想に近いほどの思いを描いていた自分が恥ずかしくなってきた。
必死で勝ち進んできたもの同士が、これからわずか数分で雌雄を決める戦いに望むのだ。
田辺のこれまでの試合の中で、印象に残るほど圧倒的に強いというイメージはない。
粘り強いという印象を受けた。
時間切れ直前の一本勝ちか、延長での一本勝ちが多かった。決め技の多くが得意とする小手技であった。
「今までツキがあったのかも」
これまでの自分の試合を振り返り、耕平自身そう思った。
一年生の自分のことなんて、最初からノーマークであったろう。
先ほどの準々決勝でもそうだ。
思い切って攻めて、面から面、小手、攻めても打ち崩せない相手と鍔迫り合いからの引き面で一本、時間切れ間際に相手に面を打たせての応じ胴が決まっての二本勝ちだった。
かろうじて勝ったのは、監督の日頃の言葉だった。
「打ちたいところばかりを打つな、空いているところを打てばいい」
自分のペースで打ちかかっていく、攻めるにしても前に出るばかり、ワンパターンな攻め方だけでなく、もっと考えて打てとのいましめの言葉だった。
耕平の得意技である「引き面」「応じ胴」は実はそんな攻め方の中で、苦し紛れに出したきめ技でもあった。
やや遠間から思い切って繰り出す面が彼の真骨頂であったが、逆に近間に入られると不用意に後ろへ下がる悪いくせがあった。わずか数ミリでも下がれば、相手に乗られて面を食う。一番いやな負け方だ。
間合いを調節するために、自分勝手に仕切り直しをする。気持ちでも仕切り直ししてしまう。「縁を切る」という言葉どおり、そこで緊張感が途切れることもあるのだ。
耕平は思った。
「自分の剣道をやろう」
「相手がどのようなタイプかなど問題ではない」
監督のアドバイスを思い返した。
「待つな、狙うな、攻めていけ」
それはがむしゃらに打ちかかれというわけではない。
耕平もそれはわかっていた。
打ち懸かるほうも守り、応じるほうも気攻めでは同じだ。絶えず攻めていなければ瞬時に応じられない。技の掛け合いに一時でも気を抜けば、その居ついたところを攻められるのだ。
会場は決勝戦の開始のアナウンスとともに、拍手と両選手にかけられる応援で場内の雰囲気はどよめきとともに一気に最高潮に達した。
(次回へ続く)
いよいよ始まりました。高校生剣士、五代耕平の熱い戦いとせつない恋の物語。
高校一年生にもかかわらず、個人戦の地区予選で優勝決定戦まで勝ち進んできた。
耕平の暑い夏は今始まったばかりだ。
剣道一直線 高校生剣士「五代耕平の七番勝負」
序章
東京都に隣接する近郊のH市は、人口わずか7万の小さな市である。昨今の話題でもあった合併問題では住民投票で否決された。県議会と密接な関係のある同市議会の多数が合併賛成を謳ってきただけに、最後の最後で住民側にノーを突きつけられたわけである。最初から「合併ありき」で、ことを進めてきた市や議会への反発があったという。
住民念願の駅前開発も遅々として進んでいない。撤退した企業があっても誘致の誘いに乗ってきた企業はない。こうした話は今の日本のいたるところである話で、なにもH市に限ったことではない。
この話の主人公である五代耕平が、家族とともにH市へ引っ越してきたのは二年前の春であった。サラリーマンの父親と地元のスーパーでパート務めをする母親、そして中学一年生の妹の四人家族である。
憂鬱な梅雨の晴れ間は、昨日の雨を含んで少し蒸している。
県立総合体育館、夏の県予選をまじかに予選を兼ねた地区大会が開かれていた。
「個人戦決勝は三位決定戦の後、第一会場で行います」
体育館内に、試合会場の変更を知らせるアナウンスが流れていた。
「いよいよだな」
地元道場の稽古仲間の一人、矢沢健二が耕平の肩に手をかけ、声をかけてきた。
「はい」満面の笑みを浮かべ、素直に返事をする耕平。
健二は耕平の五つ年上だが、単に後輩というより剣道一途に取り組む耕平の姿に、時おり感心させられることも少なくない。
ひたすら稽古に励む生真面目さと、乾いたスポンジのごとく、高段者の指導やアドバイスを吸収し、日増しに強くなっていく耕平は道場の人気者だ。
その素直さ、謙虚さが彼の実力を自然と押し上げたのかもしれない。けして運動能力が高いわけではない。健二はそう思っている。
実際、彼の母親曰く「剣道以外のスポーツは、あまり得意ではない」という。
耕平は今年、剣道の強豪校であるS県立高校に入学したばかりの新一年生だ。
その新入生がこの夏の大会個人戦で勝ち残り、とうとう優勝決定戦まできたのだ。
「今はこの試合に懸ける。何としても優勝するぞ」。
普段の彼からは想像もつかない強い意志がみなぎっていた。この秘めた闘志は高校生になって始めて優勝決定戦まで勝ち進んできたからだけではなかった。
試合会場である一階は、選手や試合関係者だけが立ち入りを許されているが、それ以外は二階の観客席で応援するしかない。
その応援席には、今年の春の入学式の当日、偶然知り合った佐々岡悦子がいる。同じ高校の新聞部の副部長である。
耕平の強い思いの理由は、彼女の存在があるからかも知れない。
悦子は中学校二年生まで剣道の道場に通っていた経験がある。そのためまったく剣道と縁が無かったわけではない。
自分の意志で道場に通うと決めた悦子だったが、中学校二年生の夏に高校受験を理由に道場をやめたのだ。
やめた本当の理由は別にあった。
悦子は思った。
「一対一で闘志をあらわに競う武道は、自分に合わないかもしれない」
それより社会問題、政治問題に取り組む新聞記者や世界の紛争地域に危険を顧みず飛び込むジャーナリストの姿に憧れていた。
中学生の割には大人びていた。
小さい頃から学校で出される作文やレポートの提出は得意だった。
「もしかして思ったことや考えたこと、伝えたいことを文書にする仕事に向いているかもしれない」
漠然とした思い入れだけで、具体的な職業を思い描くほどの知識や環境があったわけではない。しかし、おませな中学生にしてみれば汗臭く、息苦しい剣道にさほど魅力を感じなくなっていたのは確かだ。
母親は「年頃だから仕方ないかもね」と、道場をやめることをあっさり認めた。
「大きな声を出せ、気合を入れろ、もっとしっかり打て」
たまに道場で見学している父親の応援も煩わしかった。
父親が稽古を見に来ることを母に頼んでやめてもらった。
高校時代に剣道の経験がある父は、娘と剣道の話や技の話をするのが楽しみだった。それだけにわざと無視する素振りは白々しかった。何とか続けてほしいと願う父親のささやかな気遣いでもあったのだ。
悦子は知っていた。父の手帳には今でも彼女の剣道着姿の写真がはさみこまれていることを。それは、地区大会に道場代表で出場した中学生個人戦に参加したときのものだ。
悦子はそんな父親が好きだった。
悦子の視線の先には階下の試合会場にいる耕平の姿があった。悦子は二年生、耕平よりひとつ年上である。
冷房が効いている館内だが、ほぼ満員の観客の熱気で蒸し暑い。耕平の予想外の活躍で、優勝候補である何人かの選手がすでに消えていた。ますます混沌として優勝の行方がわからなくなった個人戦に、会場が沸いていることもこの暑さの原因のひとつかもしれない。
先ほどようやく試合を終えた耕平の首筋には、拭っても拭っても湧き出る汗の粒が膨れて、やがて一筋の流れとなり滴り落ちていく。
二階の応援席を見上げると、悦子の笑顔があった。
彼女は同じ新聞部の友人といっしょにいた。
「来てくれたんだ」
先週、剣道部の活動を紹介するということで取材に来てくれた。
先輩部員が彼女たちに取材の礼のついでに言った。
「来週試合があるので、よかったら応援にきてください」
耕平の思いは少し違っていた。
本当は「自分の応援に来てくれ」と言いたかった。
彼女は「取材でいけたら行きます。がんばってね」
微笑んだ口元からのぞく悦子の整った白い歯が大人っぽく見えた。
耕平と悦子は、お互いが好感を持っていることはなんとなく気づいているが、この先どうなるのかわからない。
ただ、わかっているのは年下の耕平にとって、初めての淡い恋心を抱いた相手だということだ。
「好きです。ぼくとだけ付き合ってください」と、言えたらどんなにすっきりするだろう。
悦子はそんな気持ちを察しているので、耕平の顔を見ても視線をはずさない。耕平が照れてうつむくと、可愛いと思う。
この年頃の女の子は年がひとつでも違うと、ずいぶん大人に思えてしまうから、なおさらだ。
耕平はほかの部員に悟られないように、自分の感情をそっと胸の奥にしまいこんで取材を終えて道場を後にする悦子の背中を追った。
春、入学式。
入学式当日、入部する予定の剣道部の部室を訪ねるときだった。
あわてていたせいか、担いだ防具に何か当たったような衝撃を感じたにもかかわらず走り過ぎようとした。そのときだ。
「ちょっと君、待ちなさいよ」
悦子だった。
校内を走る耕平が行き交う際に防具が当たり、彼女が手にしていた取材用のカメラを落としそうになったのだ。
それに気がついた耕平は「すみません、急いでいたもので」と、素直にあやまった。
「カメラ大丈夫ですか」
拍子抜けするほど素直に謝る耕平を見て、怒る気にもならない悦子は耕平に訊ねた。
「君、そんなに急いでどこへ行くの」
「剣道部の道場です。集合時間に遅れそうだったので」
「それなら早く行きなさいよ。そんな大きな防具と竹刀を担いで校内を走り回ったら、ほかの人の迷惑になるから気をつけてね」
「すみません」と頭を下げた。
そう言われても時間がない。耕平はまた走った。
走りながら、今の出来事を思い返していた。
「可愛いひとだな」「何年生かな」
「自分が担いでいたのが、竹刀と防具だとよくわかったな」
確かに剣道の経験がなければ、自分の担いでいる物の正体はわからないかも知れない。
まさか剣道部の先輩ではないだろうな。
二度目の再会は、耕平の通う地元の道場、錬武館であった。
「それでは先生失礼します」
若い女性の声のあとに聞きなれた声がした。
「またはじめたくなったらいつでも来なさい」
声の主は館長だった。
道場にお客さんか。
耕平はいつものように道場脇の狭い廊下で防具を下ろした。
帰り際の女性の顔を見て耕平は驚いた。
今朝、学校で会った悦子であった。
「あっ君か。この道場に通っているんだ」
「すいませんでした」
謝る耕平の姿に、館長が訊ねた。
「そういえば高校は同じだな、知り合いか」
館長に今朝の出来事を説明すると、彼女ももともとはこの道場の教え子だったこと、今日は友人たちとの京都旅行の土産を持って挨拶に来たことを話してくれた。
悦子も妙な縁に驚きながらも、今朝とは少し違って、穏やかな笑みを浮かべ耕平を見ている。
今日の彼女は私服である。洗いざらしの淡いピンクのTシャツが、胸のふくらみをいっそう際立たせている。
(次回に続く)