小説「五代耕平の七番勝負」(2) 先手必勝、必死の面打ちに懸けろ
2005年 07月 21日
同じ支部に所属する聖香大一校二年の田辺明であった。
小手技を中心に二段打ちを得意とする。身長百六十三㎝、いまどきの高校生の割には中背である。今回の大会の参加選手の中では小柄なほうかもしれない。
耕平自身、百七十三㎝だが、日頃あともう少し身長が伸びればいいと思っていた。
対戦時間が迫っていた。
田辺という選手、どんな攻め方をしてくるのか。耕平はこれまで見た彼の数少ない試合を思い返していた。
もうそこには、悦子のことに思いをはせる年頃の耕平の姿はない。
先ほどまで悦子に勝者として喝采を浴びる自分を見つめてほしいと、妄想に近いほどの思いを描いていた自分が恥ずかしくなってきた。
必死で勝ち進んできたもの同士が、これからわずか数分で雌雄を決める戦いに望むのだ。
田辺のこれまでの試合の中で、印象に残るほど圧倒的に強いというイメージはない。
粘り強いという印象を受けた。
時間切れ直前の一本勝ちか、延長での一本勝ちが多かった。決め技の多くが得意とする小手技であった。
「今までツキがあったのかも」
これまでの自分の試合を振り返り、耕平自身そう思った。
一年生の自分のことなんて、最初からノーマークであったろう。
先ほどの準々決勝でもそうだ。
思い切って攻めて、面から面、小手、攻めても打ち崩せない相手と鍔迫り合いからの引き面で一本、時間切れ間際に相手に面を打たせての応じ胴が決まっての二本勝ちだった。
かろうじて勝ったのは、監督の日頃の言葉だった。
「打ちたいところばかりを打つな、空いているところを打てばいい」
自分のペースで打ちかかっていく、攻めるにしても前に出るばかり、ワンパターンな攻め方だけでなく、もっと考えて打てとのいましめの言葉だった。
耕平の得意技である「引き面」「応じ胴」は実はそんな攻め方の中で、苦し紛れに出したきめ技でもあった。
やや遠間から思い切って繰り出す面が彼の真骨頂であったが、逆に近間に入られると不用意に後ろへ下がる悪いくせがあった。わずか数ミリでも下がれば、相手に乗られて面を食う。一番いやな負け方だ。
間合いを調節するために、自分勝手に仕切り直しをする。気持ちでも仕切り直ししてしまう。「縁を切る」という言葉どおり、そこで緊張感が途切れることもあるのだ。
耕平は思った。
「自分の剣道をやろう」
「相手がどのようなタイプかなど問題ではない」
監督のアドバイスを思い返した。
「待つな、狙うな、攻めていけ」
それはがむしゃらに打ちかかれというわけではない。
耕平もそれはわかっていた。
打ち懸かるほうも守り、応じるほうも気攻めでは同じだ。絶えず攻めていなければ瞬時に応じられない。技の掛け合いに一時でも気を抜けば、その居ついたところを攻められるのだ。
会場は決勝戦の開始のアナウンスとともに、拍手と両選手にかけられる応援で場内の雰囲気はどよめきとともに一気に最高潮に達した。
(次回へ続く)