剣道再開組の中年剣士が生活習慣病と戦いながら剣道修行


by jdmn
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カテゴリ:稽古日誌( 25 )

 おやじ剣士さんコメントありがとうございます。
 
 本格的な剣道はほとんど私と同じ年頃、メタボ解消の動機も一緒ですね。

 今日は久しぶりに午前中に稽古に行きました。11日の日曜日に五段の昇段審査を控えているママ剣士が何人かいます。

 当日はたぶん男性と当ることになるでしょう。打ち負けないよう、当りに負けない、下がらない、そう考えたら、多少は稽古台になるかな、そう思い道場へ行きました。

 「押さば押せ、引かば押せ、押して勝つのが相撲の極意」

 剣道も同じことが言えますね。

 気攻め、気迫、位詰め、女性の場合はついつい男性の圧力に気負けししそうなときがあります。体や竹刀の物理的な差はいたし方ありません。

 審査だからといって表面だけ繕い、こじんまりまとまった剣道をしても結果は出ないでしょう。剣道の根幹は生きるか死ぬかのせめぎ合いです。

 剣道本来の精神に立ち、「面を打ち切る」ことを心がけて審査に臨んでください。

 
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by jdmn | 2007-03-10 02:20 | 稽古日誌
 今月20日からの2泊3日の夏合宿も無事終わり、先週土曜日の道場での稽古に参加しました。合宿に参加した仲間も、相変わらず気合の入った稽古をしておりました。

 最近、意識して稽古に臨んでいることがあります。足さばきと面の振り上げ動作です。簡単に言えば、かなり直っていると思うのですが左足がやや開き加減になることがたまにあります。極端な撞木足とまでは言いませんが、疲れてくると体が右のほうへ開き加減になるようです。

 一つの要因は、右手が強いことと、相面に乗ろうとした場合など少しでも速く打とうとする意識が先行して、腰がやや引け加減で打っている時があるようです。

 まっすぐ左の腰を付けて移動せず、下から打っている形になるのです。そのせいか面の振り上げも刺し面気味に振り幅が小さく、打ちが軽いような気もします。

 腰が入り、左足の引き付けも十分であれば、それなりの形になるのですが、ときおり疲れてくるとそうした癖が出るようです。

 若い人とは違い、そう遠間からは打てません。そのせいか自分の間合いを詰める際についつい剣先を合わせたまま相手の出方を見てしまうことがあります。

 見てしまったら居付いていることになります。止まって相手を見てしまったら待ち剣になります。その時点で攻めの気持ちがなくなります。

 先生方の元立ちで見受けられるのは、メンでかかっていく者に応じてメンにくるか、すりあげて右へさばき加減でメンに乗るといった技を難なくこなしていることです。

 足さばきは剣道の肝心要です。高齢の先生方でも若い剣士と稽古ができるのは、こうした足さばきがあるからなのでしょう。

 その意味でも中高年なら地道な基本形古がなおさら必要です。

 
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by jdmn | 2006-08-29 00:51 | 稽古日誌
 久しぶりの投稿で恐縮です。

 ジーコジャパンの終焉の日を迎え、もう次の監督は誰かという話しも出ているようです。

 今さらのことですが、どうしてもオーストラリア戦が後を引いております。勝敗は時の運と申しますが、残り時間6分での3失点は選手同様、一フアンとしてもあとを引きますね。


 今日の反省

  先日、東京のある剣道連盟の稽古会に参加しました。ここでは毎週土曜日と日曜日に区内の高校武道場と区立体育館武道場で行われています。

 会長が依然私がお世話になった先生です。私が参加した土曜日の稽古には、50人ほどの方がいらっしゃいました。ほとんどが40代から50代です。元立ちの立つ先生方は60代、70代の先生が多かったように思います。

 約1時間の稽古が終わるまで、一度も面を外すことなく元に立つ先生方の気力、覇気が感じられます。

 身体が硬く、力みがちな中高年層にとって、気剣体一致を意識した稽古が重要です。若いときのイメージで稽古に望んでも身体が思うように動かない、なんて場面はよくあります。

 頭のなかで遠間から踏み込んで打っているイメージが残っていると、つい無理に飛ぼうとします。当然、体勢が整わず手足ばらばらな状態になってしまいます。

 そんなとき、私の父ほどに年が離れている方でも構えから振りかぶり、打ったあとの左足の引き付けがしっかり取れており、見ていても「さすが」とうなるだけです。

 一拍子の打ちは、「構え即打ち」といいますか、素早くかつ自然に打突の動作へ入る稽古になりますね。構えを見れば実力がわかる、なんていわれることがありますが、これは力みが見て取れるか否かでしょうね。

 
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by jdmn | 2006-06-23 16:42 | 稽古日誌
  本日は、久しぶりに午前中の稽古に行ってきました。

 今日の反省その一、
 早い打ちにこだわるのか、ときおり手が先に上がり、足が後からついてくる感じがするといわれました。よく言うところの「ドンピシッ」の打ちになっていないという。

 少しでも勢いのある面打ちをと思い、上半身だけの動きに意識しすぎた結果か。

 素直さが上達のコツ、年を食っていてもそこは同じ。

 すぐに軌道修正、朝の稽古で身体がまだ起きていないのか、硬いのが自分でもわかる。
 「足さばきだよ、足さばきでどれくらいの剣道をやるかわかるからね」

 いつものように山田先生の声がかかる。

 この間、西川先生をお迎えしての稽古でも小手面の連続技の稽古で足さばきの大切さを指導いただきました。


 ずいぶん前の剣道日本ですが、太田欣之(教士八段)先生の記事を見つけました。

 タイトルは「打突の冴えを求める」です。 


 連続技で大切になるのが、素早い足さばきです。この小手面打ちでは「右、左、右、左」の素早い足さばきが要求されます。最初からスムーズにはできないかもしれない。そういうひとは、まず小手打ちのとき右足だけ動かして左足を引き付けず、その状態から面に行く練習をしてみるのもよいでしょう。

 これはタイミングをつかむための練習です。右足で2回トン、トンと踏み込んで小手面を打ってみます。もちろん面打ちのときは必ず素早く左足を引き付けます。

 何度かこれを繰り返し、手の振りと足を踏むタイミングがつかめたら、今度はそのまま体勢を崩さず、小手打ち後に左足の引き付けを入れて練習します。

 早く打とうとするのではなく、足と手をしっかり合わせて打つことに集中することが、結果的には早くて鋭い小手面打ちにつながります。

 左足がついてこないと言う人がいたら、打突時にヘソをできるだけ相手に近づける気持ちで出ていけば、足がついてくるのではないでしょうか。

 中高年の剣士にとって、若くて素早い人との稽古はなかなか難しいものです。つい負けまいとして一緒になって早さのみを競っては勝てるはずもありません。ここで大切なのは、打ちの早さではなく、あくまでも冴えのある打ちを求めることです。

 構えを崩さず、相手の中心を攻めながら相手を下がらせるよう心がけてはどうでしょうか。

 どんな技でも冴えを求めれば結局のところ足の重要性に行き着きます。足から腰、腰から背、背から肩、肩から腕、この一連つながりがなければ、どんなに手先だけの早さ、鋭さを求めて鍛えてみたところで無駄な努力になってしまいます。

 手先の技を鍛えることよりも、足と手の充実を一心に稽古することが何よりだと考えます。とにかく、決めるという感覚を左足の引き付けでしっかり感じ取りましょう。

 どんなに筋力があっても冴えのある打ちができるようになるわけではありません。
「非力な人でも素晴らしい剣道ができる」それが剣道の一つの魅力です。

 うわべの力や早さにとらわれず、気・剣・体一致の打ちを求めることが、冴えのある打ちにつながっていくのです。(剣道日本より抜粋)

 長い引用で、剣道日本さんごめんなさい。

 中高年剣士にとって、肝心要のポイントがありましたので、ご紹介しました。




 
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by jdmn | 2006-06-02 20:31 | 稽古日誌
 着装はその人の人格を表し、剣道に対するその人の心構えが判断できるところといわれます。普段の稽古では古い道着を着け、時にはしわもよっている袴を着けている私など大いに反省しなければなりません。

 この間、西川先生が道場に来られたときも着装や竹刀の扱いについて、細かく注意されていた。面紐が長い人へ注意もされていた。

 八段の先生ともなるとこういうところまできちんされているのだなと、感心した。だが、見方を変えれば、戦いの正装であり立会いのマナー、規則である。それは剣を交える者同士の身構えであり、心構えなのだ。

 そう考えれば、剣道をするものにとって、日頃の稽古に向かう姿勢、気構えを問われていることと同じだ。

 たかが着装とはいえないのだ。

 話は変わって、最近の稽古での反省です。

 ある本で読んだ話です。「姿勢」とは「姿」に「勢い」と書きます。つまり、立会いに勢い(覇気)がなくては、姿勢とは言わない、とありました。

 なるほど、力みがなくとも何の気なしに構えていては案山子と同じ。しかし、気力が充実し、相手に攻めの気を感じさせるには、まだまだ修練が必要。

 せめて相手に対峙したとき、攻める気持ちを持ち、下がらない、避けないを心がけようと思う。

 、

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by jdmn | 2006-05-20 00:12 | 稽古日誌
スゴイWBC世界一

昨日のWBC、キューバとの決勝戦の勝利は、日本中を歓喜の渦に巻き込んだ。韓国との準決勝に引き続き、結果として点数差はあったものの緊迫した試合内容で久しぶりに野球の醍醐味を味わった。

はじめは自室でラジオ観戦していたが、時折階下のリビングから家内の歓声というか奇声が聞こえるのでのぞいてみる。普段はまるっきり野球に興味を持っていない家内が興奮気味にテレビにかじりついている。

先日の準決勝同様、終盤になっても息がつけない展開で、途中から夫婦で久しぶりのテレビ観戦となった。

家内が野球でこんなに興奮するとは。きっと日本中の家庭でこんな風景が見られるのだろうな。テレビ視聴率も40%以上らしい。年末の紅白歌合戦より高視聴率だ。

私たちの稽古会参加しませんか

19日に毎月1度行われている地元の若手稽古会に参加した。この稽古会は地域の各剣道団体の若手が、組織を離れ横断的に稽古を通じて親睦を図ろうという趣旨で1昨年から始まったもの。

参加者はけして多くはないが、毎回充実した稽古会となっている。少子化傾向のなか、剣道人口の底上げの一環として、こうした機会を通じ剣道リバイバル組の参加をうながす上でもいい企画と考えている。

次回の稽古会は4月16日(日)です。埼玉県蓮田市の総合体育館「パルシー」武道場。
段や経験は問いません。関心のある方は、shio13@nifty.com
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by jdmn | 2006-03-22 14:05 | 稽古日誌
 昇段試験から早いもので1週間経ちました。ご指導いただいている先生方や稽古仲間、道場に通う子供たちの父兄の方々からも「おめでとう」「よかったね」と声をかけていただきありがとうございます。また、嬉しいメールもいただきました。感謝、感謝の思いです。

 今回の昇段試験で感じたことは、中高年で本格的に剣道を始めた私たちにとっては、四段は意外に大きなハードルだということです。

 とくに中高年者は身体も硬く、力みもあって、肝心の実技で本領を発揮でないまま終了となってしまうこともあります。しかし、試験で普段の稽古の成果が出せなければ、意味がありません。稽古の積み重ねがそのまま出るわけですから、言い訳は成り立ちません。
 審査の先生がはっきりと言いました。気剣体一致が前提となる剣道で、手足ばらばらになっている方が多く見受けられると。私も冴えのある一拍子の打ちをどうすればできるのか、それを何とか身に着けたいと、稽古しています。力まず、力を抜いてといわれてもつい無意識に身体のどこかに力が入ってしまうものです。

 打ち込みのときなどに、いかに肩の力を抜いて打てるか、そのあたりを意識して竹刀を振ります。また、若い人と違って、飛んで打てるわけではありません。打てる自分の間合いを知ることも大事です。自分で思いっきりメンに飛んで、仮に当たったとしても体勢が崩れている場合が多いのです。

 変な話ですが、以前は極端な言い方をすれば振りかぶりと打ちが二段モーションになっていて、相手の防御のタイミングをはずすため、たまにポコッとメンが当たることもありました。これは大いなる勘違いです。

 また、勢いがあっても打とうという意識が強すぎて、右に体勢が崩れることも私の欠点でもありました。相面の稽古でも当てようという気持ちが先走ると、右手が押さえたような打ちになり腰が残り、結果的には自分の剣先の軌道も右にずれて、面ががら空きの状態になっていました。

 そのあたりを大いに反省し、自分が楽に打てる距離から一拍子の打ちの感覚をつかみ、じょじょに身体を入れて勢いのある面打ちが出来るよう稽古しています。自分の打てるところまで攻めていくことは、相手にとっては近間になることもあります。また、絶好の打間となることもあります。不用意に間を詰めるのではなく、攻めていくという意識であることが大事だと心がけています。

 あと意識していることは構えです。自然で力みのない構えが出来るように、竹刀を持った手の位置から剣先の高さ、足幅、ひかがみのはり具合など鏡の前でチェックします。構えひとつで相手に与える印象は違ってきますよね。

 耕平の七番勝負次回から登場します。中断お許しを。
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by jdmn | 2005-12-04 15:45 | 稽古日誌
 9月もこの時期になると、朝晩の冷え込みでめっきり秋らしく感じられる。
 夏場の稽古は正直言ってキツカッタ。他の稽古仲間には悪いが、なるべく
無理のない稽古を心がけるということで、稽古中でも面をはずして水分補給
していた。

 そのくせ稽古が終われば、恒例の反省会と称して飲み会だけは皆勤賞で
ある。これには呆れられるのは当たり前か。稽古後の水分補給もしっかりや
っていた。大いに反省。

 ところで、遅咲きもいいところの中年剣士が、久々に昇段への挑戦の機会
を得た。11月の四段審査である。

 もっかそのために基本の稽古を意識的に行っている。
 時折り指導を頂く岩槻支部の山田先生(七段)からは、相変わらず「手と足
がばらばらだね。早く打ちたい、当てたいという気持ちがあるのか、上半身だ
けが前に行って、バランスが悪いね」と、お叱りを受けている。

 左足の送りから右足の踏み込み、打突のタイミングが時折り微妙にズレル
との指摘だ。
 気剣体一致の打突が基本の剣道にあって、なんとも致命的な欠陥ではな
いか。自分では気をつけていたが、これはマズイ。

 自分の打ち間というか、間合いを身に着けなければならない。若くはないにも
かかわらず打ち気にはやり、ためがないのだ。その際、少しでも早く打ち込み
たいと送り出す左足に弾みをつけるようにほんの少し沈むそうだ。それでタイミン
グを図っているように見えるらしい。

 見方によっては器用だ。そんな事に感心している場合か。
 その体勢で打っている限り、打突の瞬間の癖として見抜かれ、竹刀が上がっ
たところをいとも簡単にコテを取られる。気がつくのが遅い。

 これから1ヶ月、修正のための稽古だ。

 
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by jdmn | 2005-09-28 17:57 | 稽古日誌

 剣道日本7月号の表紙を飾っておられた久保木文夫氏(教士八段)が、同誌でご自分の稽古について語っておられました。

「屋外で行う素振りは千本を目標に、雨の日には屋内で正座をして、5、6百本を目標に行います。以前と違い太刀力や筋力をつけることだけが目的ではないので、普段使う竹刀を用いています」
 
 日頃からのたゆまぬ精進には敬服します。私もこの百分の一ほどの努力があれば、もう少し自分の剣道も成長していたでしょう。本質的な剣道観が違うのでしょうが、私と比較しては久保木先生に失礼ですよね。それはそれとして、中年剣士とはいえど恥ずかしくない稽古ができるよう肉体的、精神的な稽古を積んでいくことが大事です。それが楽しい剣道につながることだと思います。反省しきりです。

先日、私ども支部の月例稽古会に、嬉しいゲストがやってきました。7月18日、武道館で開かれる「全日本家庭婦人剣道大会」へ出場する埼玉県代表選手の方々です。総監督の神山先生(八段)、監督の今濱七段以下5人の選手の方が私たちとともに、稽古に参加していただきました。

 稽古の中で基本技に対するお話も大変勉強になりましたが、神山先生をはじめ、ともに参加された高段者の先生方の稽古を拝見させていただいたことで、あらためて自分の稽古での新たな課題も数多くいただいた気がします。

 
 ずいぶん前の剣道日本で拝見した記事ですが、松原輝幸氏(範士八段・掲載当時)が、ご自分の得意技である面の打ち方について語っておられました。

 同氏は「普段の稽古では、面が打てれば小手も胴もおのずから打てる。基本技の稽古では、面技を中心とした稽古をしています」と。

 その松原氏の面打ちは刺し面の対極にある、大きく振りかぶってから打つ面です。大きく振りかぶれば、その間に相手には面を打ってくるのが見え、相手が防御に回ると考えるのが一般的です。なぜ、そうした面打ちを決められるのだろうか。

 「振り上げるときは相手にアッと思わせるよう、剣先で攻め圧しながら振りかぶる。振りかぶる動作そのものが攻めにつながっていないといけません。そうでないと気持ちと体が連動しないのですから。そこで相手には一瞬ですが虚が生まれます。そのときに早く打てばいいのですから、打つ直前まではゆっくりでいいんです。ただ、その一瞬をとらえるためには、正しい構え、足さばきで気持ちを充分にしないといけないのです」(掲載記事から)

 その場合、攻め合いでは相手の中心線をいかに自分の中心線からはずすかが、大切であるといっています。しかし、あまり相手の竹刀を押さえすぎると、自分が打つためにいったん竹刀を起こさないと打てません。これでは攻めと打突が連動しません。押さえるのではなく、足と竹刀の鎬を利用して攻め入ることを心がけるというわけです。

 私も日頃の稽古でもこれに似た経験をよくします。なるほど、ご高齢の高段者の先生と稽古をお願いしたときなど、面とわかっていてもいとも簡単に打たれてしまう。居ついてしまっている。あるいは引き出されて、打とうとした一瞬出会いがしらに面を打たれたり、小手を打たれる。

 それが高段者の高段者たるゆえんでしょうが。

 私のような50を過ぎた中年剣士が、若い人のように遠間から踏み込んで打つことはできない。それでも思い切り飛んで打とうとする。最近まで、自分もこの傾向がありました。若いときのイメージあって、どうしても自分の間合いが遠くになりがちです。「これでは届かない」と、剣先を重ねたまま躊躇していると、逆に相手に乗られ攻められてしまいます。これが私の悪いパターンでした。

 いつでも打てるようにと、あまり足幅を広く構えていると、腰が残りやすいので少し狭くした構えをとってみました。今度は近くまで足をついでいけばと修正しています。

 そんな迷いの中での今回の稽古会や松原先生の掲載記事は勉強になりました。体力的に迷いを吹き飛ばすほどの猛稽古は無理でも考えた稽古、考える稽古はできます。今の経験がこの先10年、20年続けられる剣道の元になるのだと実感しています。

 小さいころからの稽古が身についていないリバイバル中年剣士は、身体能力がついていかない分を理屈で何とか理解して、適応させていくしかありません。その意味では充分な稽古が大事ですが、やはり見取り稽古も大切だと、改めて感じました。

 
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by jdmn | 2005-06-19 17:56 | 稽古日誌
週に1度程度だが、子供たちと稽古をすることがある。5年生、6年生ともなると上達の差が目に見えてはっきるあらわれる子供もいる。こうした稽古が私にとって大変勉強になる。高段者の先生方に比べれば、ささやかな経験であるが、いかに基本どうりの打ち方や技を出せるか自分の稽古にもなっているからだ。

子供のころは、いかに早く打てて人よりもうまくなれるかと思ったし、どうすれば試合で勝てるか、そればかりを考え稽古をしていたように思う。

 そうした思いが稽古や試合にも如実に表れてくる。それはそれでいいと思う。そのうち、実力が拮抗した相手とは自然と剣先を通じてのさぐりあい、心の読みあいが、一瞬の技となってあるいは応じて勝負が決まることを実感として持つようになる。私自身はそのような心境になるまではまだ時間がかかるが。

 高段者の先生方のように、剣道を長く続けていると、求めるものにも幅が出てくる。剣道をまさしく剣の道として武道を見極めんがための精神や心がけといった心境に近づかんがための努力を惜しまない。

 そうした思いや心がけは普段の稽古にも当然表れるものだ。たまにそうした先生に稽古をお願いしたときなど、私などはまったくの初心者同然に処し方に戸惑ってしまったこともある。

 ずいぶん前だが、ある道場開きのお祝いの稽古会で高名な剣道家の先生に、普段の仲間内の稽古同然に初打ちに小手を打ちにいったり、引き面を打ったりしたことがあった。そのときの心境は、少しでもいい技を出して、いいところを見せたいという子供のようなところがあったのだろう。今思えば恥ずかしい限りである。最初から最後まで自分のペースでがむしゃらに打ちにいったのだから。
 
 そんなことを考えていたら、同じ道場の稽古仲間であり、私同様中年剣士の鶴町さんからメールをいただいた。
 少々長くなりますが、以下引用します。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんばんは。
先日、岩手大学剣道部の浅見先生の「独り言」を読んでいましたら、いい話が載っていました。何度も読み返しました。その部分を、下記に抜粋します。(岩手大学剣道部HPより、引用)浅見先生が、ふがいない学生に、憤慨して、また、自分勝ってな剣道で、掛かってくる相手に対して嘆いていた時、京都演武大会の朝稽古の帰りに、たまたま、奈良の賀来先生にお会いして、愚痴をこぼしたところ、賀来先生から、意外な話が返ってきて、勉強になったと書き込んでおられました。

                  記

『5/4はこの日も前日同様快晴。日中には最高気温が30度を超えたのではないかと思うほど。春は終わって、夏そのもの。

 朝稽古には徒歩で行った。この日も元立ちを1時間ちょうど務めた。5/4には7段の立合があり、朝稽古参加者は前日よりも多い。初めの頃は、隣のN教士、M教士と肩が触れ合うほどのスペースでやらざるを得ないほど。

 しかしねぇ・・・やっぱり、色々な人がいるもんだ。中には浅見の胴を、もぐり込んで打った瞬間に「斬ったりー」と宣言したヒト。メンに来るけど届かなかったとき、浅見の胸をドーンと突き押ししてから「メンー、メン」と2度打ち、3度打ちのヒト。まぁ、喧嘩腰で来る人はいなかったけど、終わって最後の礼をしたと思ったら、クルッとあっち向いてホイのヒトとか。
そんなヒトに限って、終わるときに首を傾げたりして、自分のことしかアタマにない様子。やっている内に、辟易としてきた。

 かかる方ばかりではない。近くの元立ちのA教士の打ちも強烈。かかってくる相手を叩きのめしているかの如く。どういうわけか、浅見は最近の稽古では強く叩くことが少なくなっている(相手に合わせて、竹刀を部位にタッチするかの如く・・・そうは思わないって?)。強気で来る相手とは「やってらんない」と思うこともしばしば。

 稽古が終わった後、ため息が出てきたね。サブ道場ではまだ続けてやっていたようだが、とても稽古を続ける気にならず、終了。

 稽古が終わり、武道センターを出るとき、偶然に奈良の賀来範士と一緒になった。賀来範士からは、「オー、元気か。どうしているか気になっていた。」と言っていただく。
 宿舎に帰る道すがら途中までご一緒に歩きながらお話を聞いた。

 浅見が最近感じていることとして、次のようなことを話した。「最近、地稽古が自分の鍛練にならない。自分にとっては切り返しや打ち込み稽古の方が鍛練になる。」

 賀来範士はそれに対して次の教えを話してくれた。
 「それはまだ本物ではない。
 持田盛二先生(故・範士10段)は『2段の相手には2段半の力で、7段の相手には7段半の力で遣われた。どんな相手でも自分の鍛練になる』と言われた。

 斉藤正利先生(故・範士9段)は、どんな相手でも汗ビッショリになって稽古をされていた。2段3段の相手でも、オッとっと、オッとっとと汗ビッショリになっておられた。ある年、全日本東西対抗に出られることが決まっていたが、それでも師範をしていた京都大学で学生相手に毎日稽古をされており、心配した学生が『学生とばかりの稽古でよろしいのか。もっと強い方と稽古をされなくて大丈夫か?』と尋ねた。

 そうしたら『学生相手でも自分の稽古になる。』と明言された。 このようにどんな相手でも、相手に合わせて稽古を一生懸命すること、それが自分を鍛えていることになる。そしてそうしていれば、相手の心が読めるようになる。心が映るんだな。明鏡の如しだ。ここまで行かなければいけない。私が斉藤先生に稽古をお願いしたときのこと、その日はある考えを持って稽古をした。

終わったときに斉藤先生は、私の考えを一言で言い当てられた。全部読まれている。
こういう先生にかかったら、何も通用しない。

 もう一つ、浅見が話したことは、今の自分の心情について(この朝の稽古でうんざりしていたこともあるけど)。
 「他の人の稽古が、まるで争いごとや闘いの様相になっている。浅見は今、そんな中に一緒に入って打ち合う、叩き合うような気になれない。浅見の稽古では、ただ力まずに遠間に立ち、打つ機会が自然に訪れるのを待つ稽古になっている。」

 賀来先生曰く、「確かに、争うなんて下の下だ。浅見は良いところまで来ているが、まだもう一歩先がある。さっきの(上記の)話のように、この道を信じて、突き進むこと(伊藤一刀斎の言葉「戦陣訓」を引き合いに出して語っていただいた)。」

 賀来範士とのお話が楽しいのは、昔の大先生の話や様子がたくさん出てきて、ワクワクするのだが、まさか伊藤一刀斎の言葉がスラスラと出てくるとは思わなかった。

 途中でお別れして宿舎まで歩いて帰る。帰る道すがら、賀来先生のお話が頭の中を駆けめぐっている。街中を剣道着・袴姿で歩いていても、他の人の目が全く気にならない。

 宿舎に到着、シャワー、朝食を済ませ、再びベッドの中で睡眠補給。
 
 寿司弁当で昼食を済ませ、防具を再び用意して武徳殿に向かうことにした。

 14:00頃から15:30まで、知り合いの7段立合を見学。一緒に並んで見ていた作道正夫先生の隣に座って、賀来先生から聞いた話を紹介した。
 作道先生曰く、「良い話を聞いた。我々は学生と稽古していても、心まで読んでいるかというと、そこまではしていない。そこまで考えるべきだな」と。』

心まで読もうとしていないと、いつまでたっても、心を読めないですよね。
”相手に合わせて一生懸命すること”それが、心を読むことになるんですか。

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 鶴町さんメールありがとう。私たちの場合、こうした先生の心境はともかくまず稽古です。まっすぐないい面を一本でも多く打てるよう稽古に励みましょう。




 
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by jdmn | 2005-05-20 15:21 | 稽古日誌