剣道再開組の中年剣士が生活習慣病と戦いながら剣道修行


by jdmn
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

14日付け読売新聞から     11月16日(木)

 

 11月14日付け読売新聞朝刊一面のコラム「編集手帳」を読んだ。世の中の大人、親の心情そのものだと思う。以下にそのまま紹介しよう。

「いっそ/大きく凹(へこ)もう/いつか/多くを満たす/器になるのだ」◆草壁焔太(えんた)編「五行歌秀歌集1」(市井社)に収められた一首である。器を満たすものは涙かも知れない。涙の容器になることなど誰しも望みはしないが、凹みを知らない人間に比べてどれほど魅力的か◆一片の詩句を知ることで、気の持ちようで、死を決意させるほどの苦しみが薄らぐとは思わない。

 自分を励ますことに疲れ、いまこの瞬間にも力尽きそうな子供たちのひと粒の糧になればと、藁(わら)にもすがりつく心境でここに引いた◆人を自殺に追いやるほどのいじめは、ほとんど犯罪である。告発するのは少しも恥ずかしいことではない。

 凹みも深ければ器が割れる。割れる前に、涙の湖を語ってほしい◆もう1本の藁にすがる。「いじめっこが/いじめられっ子に/ひらあやまり/三十年ぶりの/同窓会」(清美)。昔よりも陰湿で残忍ないまのいじめにはそのまま通用しないとしても、「歳月」がいかなる魔法を演じるかは生きつづけてみなければ分からない◆30年とは言わず、3年、いや1年、心の凹みを打ち明け、声を発して生きてごらんなさい。あの時、死ななくてよかったと思う瞬間が必ず訪れる。約束しよう。だからいま、死んではいけない。
(読売新聞編集手帳から)

 私の遠い記憶の片隅に、今でも忘れられない衝撃的な光景がある。小学4年生のときだった。当時クラスで無口でおとなしい女子生徒がいた。同じクラスだが口を聞いたことがなかった。

 ある日の昼休み時間、その女子生徒の父親が突然教室に怒鳴り込んできたのだ。

 「娘をいじめるな」誰を指すでもなく、その視線は教室に居合わせた生徒すべてに向けられていた。

 私たちが唖然としている中、その女子生徒は「もういいからやめて」と泣きながら父親にすがりついていた。

 子供心に「別にいじめていないのに」という思いがあった。しかし、その女子生徒は悩んでいた。寂しかったのだ。クラスから無視されている自分が悲しかったのだ。

 昭和37年、東京オリンピック前のその頃の日本はやたら子供の数が多かった。一クラス50人、学年5クラス、7クラスなんてざらである。

 話したことも遊んだこともない同級生がいても不思議ではなかった。それでも狭い教室という小さな社会の中で無視され、行き場がないことに悩んでいた彼女の気持ちを察することができなかったのだ。

 子供たちの言動はときとして残酷である。無意識に交わす言葉や行動でひとの気持ちを傷つけることはよくあることだ。その対象が同じ子供であったり大人であったり、教師であったりする。

 かといって無関心でいるわけにはいかない。親がことさら承知しておかなければならないのは、子供は親や他の大人、社会を見て学習し、育つのである。

 親の「放棄」「無関心」「甘やかし」「依存」は罪作りである。子供の不始末の要因はたいていが親の責任である。

 私は父親の仕事の関係で、その学校にはわずか2年しかいなかったが、その女子生徒の名前はいまだに覚えている。教室に怒鳴り込んできた父親を必死で止める彼女の姿は今でも忘れることは出来ない。

 あれから何十年、仮に同窓会でもあればきっと「あのときの君の親父は怖かったね」と笑いながら話が出来るだろうか。
[PR]
by jdmn | 2006-11-16 03:43 | 独り言