青春小説「五代耕平の七番勝負」(5)臨機応変の対さばき 8月7日
2005年 08月 07日
耕平は自分の喉元に向けられた田辺の剣先を気にしながらも、攻めの気持ちは負けてはいない。それは、時折耕平の繰り出す二段打ちに対して田辺が応じきれず、かわすのが精一杯という場面も見られたからだ。
しかし、耕平は思った。今までの自分が井の中の蛙であったのだと。
「あのくらいの稽古で自分だけが強くなったと過信していた」
そう思ったら、素直な気持ちで相手と向き合える気がしてきた。
田辺は小柄ながら足腰が強く、ばねがある。剣先から伝わる手の内のやわらかさ、冴えは先ほどの一本で十分知らされた。
耕平は以前稽古中に館長に言われた言葉を思い返していた。
「自分が強いかうまいか、相手にどう思われるか、余計なことを考えるな。それは勝手に自分を縛ることになる。何としても勝ちたいと思う気持ちが強ければ、攻めにも迷いが生じてくる。迷ったときこそ大きな「メン」を打て」
相変わらず面金の隙間から田辺の鋭い視線を感じる。
「構えに高校生にありがちな気負いもなく、くせがないので落ち着いて見える。それでいて打つべき機会の捉えどころは見事だ」
耕平は感心した。
固唾を呑んで試合の行方を見守っている健二も、田辺の試合巧者振りに感心していた
「先鋒タイプかもしれない」
団体戦の先鋒は、その場の雰囲気や相手の強さに飲まれていては話にならない。気持ちや技の両面で絶えず攻めて、攻めて打ちかかっていくスタミナが必要とされる。臨機応変に打ちかかりながら相手を知り、有効打突を拾っていかなければならない。
当然のことながら相対するタイプは様々である。精神的なタフさ、スタミナがあってこその先鋒である。
それにひかえ耕平はどうか。
「気持ちの切り替えが早く、積極的に仕掛けるところは、彼もまた先鋒タイプかも知れない」
健二は思った。
「あとは経験だけか」
それだけにこの試合を見る限りでは、耕平がやや受けに回っているのが気にかかる。
気持ちは絶えず攻めている。ただ、初めての大舞台というわけではないが、この一戦に限ってみれば、攻防の流れの中で足が不用意に止まってしまうという耕平の欠点が出てしまったようにも見える。
何事も臨機応変に対応しなければならない。攻めるなかで相手を引き出し、結果としての応じ技、引き技も当然ある。しかし、それを待っていては耕平に勝ち目はない。
(続く)