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剣道再開組の中年剣士が生活習慣病と戦いながら剣道修行


by jdmn
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大きな面打ちができる稽古をしたい 6月19日


 剣道日本7月号の表紙を飾っておられた久保木文夫氏(教士八段)が、同誌でご自分の稽古について語っておられました。

「屋外で行う素振りは千本を目標に、雨の日には屋内で正座をして、5、6百本を目標に行います。以前と違い太刀力や筋力をつけることだけが目的ではないので、普段使う竹刀を用いています」
 
 日頃からのたゆまぬ精進には敬服します。私もこの百分の一ほどの努力があれば、もう少し自分の剣道も成長していたでしょう。本質的な剣道観が違うのでしょうが、私と比較しては久保木先生に失礼ですよね。それはそれとして、中年剣士とはいえど恥ずかしくない稽古ができるよう肉体的、精神的な稽古を積んでいくことが大事です。それが楽しい剣道につながることだと思います。反省しきりです。

先日、私ども支部の月例稽古会に、嬉しいゲストがやってきました。7月18日、武道館で開かれる「全日本家庭婦人剣道大会」へ出場する埼玉県代表選手の方々です。総監督の神山先生(八段)、監督の今濱七段以下5人の選手の方が私たちとともに、稽古に参加していただきました。

 稽古の中で基本技に対するお話も大変勉強になりましたが、神山先生をはじめ、ともに参加された高段者の先生方の稽古を拝見させていただいたことで、あらためて自分の稽古での新たな課題も数多くいただいた気がします。

 
 ずいぶん前の剣道日本で拝見した記事ですが、松原輝幸氏(範士八段・掲載当時)が、ご自分の得意技である面の打ち方について語っておられました。

 同氏は「普段の稽古では、面が打てれば小手も胴もおのずから打てる。基本技の稽古では、面技を中心とした稽古をしています」と。

 その松原氏の面打ちは刺し面の対極にある、大きく振りかぶってから打つ面です。大きく振りかぶれば、その間に相手には面を打ってくるのが見え、相手が防御に回ると考えるのが一般的です。なぜ、そうした面打ちを決められるのだろうか。

 「振り上げるときは相手にアッと思わせるよう、剣先で攻め圧しながら振りかぶる。振りかぶる動作そのものが攻めにつながっていないといけません。そうでないと気持ちと体が連動しないのですから。そこで相手には一瞬ですが虚が生まれます。そのときに早く打てばいいのですから、打つ直前まではゆっくりでいいんです。ただ、その一瞬をとらえるためには、正しい構え、足さばきで気持ちを充分にしないといけないのです」(掲載記事から)

 その場合、攻め合いでは相手の中心線をいかに自分の中心線からはずすかが、大切であるといっています。しかし、あまり相手の竹刀を押さえすぎると、自分が打つためにいったん竹刀を起こさないと打てません。これでは攻めと打突が連動しません。押さえるのではなく、足と竹刀の鎬を利用して攻め入ることを心がけるというわけです。

 私も日頃の稽古でもこれに似た経験をよくします。なるほど、ご高齢の高段者の先生と稽古をお願いしたときなど、面とわかっていてもいとも簡単に打たれてしまう。居ついてしまっている。あるいは引き出されて、打とうとした一瞬出会いがしらに面を打たれたり、小手を打たれる。

 それが高段者の高段者たるゆえんでしょうが。

 私のような50を過ぎた中年剣士が、若い人のように遠間から踏み込んで打つことはできない。それでも思い切り飛んで打とうとする。最近まで、自分もこの傾向がありました。若いときのイメージあって、どうしても自分の間合いが遠くになりがちです。「これでは届かない」と、剣先を重ねたまま躊躇していると、逆に相手に乗られ攻められてしまいます。これが私の悪いパターンでした。

 いつでも打てるようにと、あまり足幅を広く構えていると、腰が残りやすいので少し狭くした構えをとってみました。今度は近くまで足をついでいけばと修正しています。

 そんな迷いの中での今回の稽古会や松原先生の掲載記事は勉強になりました。体力的に迷いを吹き飛ばすほどの猛稽古は無理でも考えた稽古、考える稽古はできます。今の経験がこの先10年、20年続けられる剣道の元になるのだと実感しています。

 小さいころからの稽古が身についていないリバイバル中年剣士は、身体能力がついていかない分を理屈で何とか理解して、適応させていくしかありません。その意味では充分な稽古が大事ですが、やはり見取り稽古も大切だと、改めて感じました。

 
by jdmn | 2005-06-19 17:56 | 稽古日誌